フランシスコ・デ・ゴヤの絵を模写する老婆

STK_9292 - Copia
 ブログ頻繁に更新をすると言っておきながら、三日坊主だと言われるのがしゃくなのでたまにはエッセイを書いてみようと思います。

 ミラノでは年末年始ごろからかなり風邪が流行っていて、自分は大丈夫だったと気を許した途端、どこかに溜まったガスが音をたてて卵から生まれ出るように熱をだして数日寝込んでいました。
 というのは、単なる言い訳。
 
 上の写真は「フランシスコ・デ・ゴヤの絵を模写する老婆」です。
「温故知新」という言葉がありますが、、コピーをすることによって何か新しい発見をする。それも切り取り、貼り付け、ではなく本物が作った同じやり方で正確に模写することに意味がある。自分が忘れていた何か、欠けている何かに、気が付くということ。
 他の動物にできなくて、人間に許された行為のひとつに「祈り」というものがある。それを神聖なものと捉えることも可能だし、それが人という動物に与えられた崇高さかもしれない。
 高い高い山の頂上をいくら眺めていたところで、いつか頂上にたどり着くわけではない。足元をじっと見て、現状に汚れた足をコツコツ踏み出すしかない。
 自らを鏡のように透明にして、反射する世界を盗み取る。それを支えるのは月並みな「好奇心」と呼ばれるもので、せっかく模写するのなら、まずはそれがいかに素晴らしいものなのかを認識するのが先決なのかもしれない。しかしそんなことを考えていてもいつまで経ってもオリジナルになれないというジレンマを抱えることになる。
 でも気が付いたらこの写真の老婆のように、誰かがそれを見ているかもしれない。オリジナルとは自分がなるものではなく、他人が認める自分なのだ。結局人間とはコピーの継ぎはぎされた集合であり、この模写という影絵遊びはずっと続くのかもしれない。
 寒い冬の光のなか、まだ熱にぼんやりした頭でそんなことを考えた。

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